2001/12/5〜20
硫黄島 戦没者遺骨収集報告@
厚生労働省所管の「平成13年度第2次硫黄島遺骨収集政府派遣団」の一員として、初めての遺骨収集事業に参加をしてきました。
 きっかけ
2001年4月、各国の若者と交流を深める目的でフィリピンを訪問しました。その時目にしたものは、第二次世界大戦で遠い異国の地で生命を落とされた旧日本兵の数々の慰霊碑。聞けば、東南アジアだけで約50万人分の御遺骨が眠ったまま、とのこと。「日本の戦後は終わってない!」そう感じたのがきっかけでした。
硫黄島へ
12月6日、埼玉の自衛隊入間基地を出発する。硫黄島までは1350KM。約2時間のフライトだ。硫黄島に降りると本当に「硫黄」の匂いがする。周囲は海だけの太平洋の孤島。日差しもかなり強く、12月でも気温は30℃を越えていた。現在は、約300名の自衛隊員が駐屯している。
認識票を付け搭乗する。 民間人のいない硫黄島へは自衛隊機が唯一の輸送手段。
徹底した地下持久作戦を展開した硫黄島には総計18kmに及ぶ地下壕と、1000近くのトーチカが埋もれている。それを探索し、重機で掘り当てるのが調査班の作業となる。その後、収集班が壕内に入り、御遺骨、遺品、の収集にあたる。多くは多量の土砂に埋もれており、作業は土方作業のような重労働となった。
毎日の作業開始と終了時には、一同の黙祷が捧げられた。 多くのトーチカは砂に埋もれ、ショベルで周囲を掘り出す。
千鳥ヶ浜近く、うぐいす部落周辺のトーチカでは105mm機関砲台の周辺から多数の御遺骨と砲弾が発見された。砲台を取り囲むように折り重なる御遺骨に、無念さが伝わってくる。多くの収集班員が手を合わせ、丁寧に御遺骨を掘り出す。「もうしばらくの辛抱です。一緒に祖国へ帰りましょう」と。
トーチカの入口から中へ入ると、多くの遺留品が出てきた。 伊万里焼の手榴弾。旧日本軍が使用していた。
不発弾はもちろんトーチカの瓦礫、木の枝、ガラスの破片など、気を許していると怪我をしかねない。暑いが、軍手と長袖、ヘルメットは必携だ。このトーチカとその周辺だけで約20柱の御遺骨が収集された。
弾薬庫から発見された砲弾は、火薬も信管も残り、非常に危険。 連日猛暑と海風の中での作業となった。